23 5月

「感動の裏に隠された関係の創造の痛み」

昨日の「心の対話」を共有してくださった方に伝えたいことがある。まず、一部に焦点を合わせるのではなく、全体の文脈に心を重ねてほしいと願う。
また、何よりも男性中心主義的な視点や「宗教的議論」など、いろんな「精子論」について議論するのは、本来、「心の対話」にふさわしくないし、心の対話にならない(私が私に向き合う肯定的いとなみとならない)。
前にも記した記憶があるが、心+生=が「性」。つまり、心と心の交わるところに関係の創造あり、そこに痛みの共有の幸いさが、個別のよろこびと感動となる。
それが、心の対話(私と私の対話)の真意である。感動の裏に隠された関係の創造の痛みを忘れてはならない。それがよろこびにかわることを祈る。